第19回 2004/12/27
2004年も残すところ1週間となりました。忘年会疲れも心地よい、ペーソス専属司会・スマイリー井原でございます。

 今年は、本当に素晴らしい年でした。これを記念するために、1年間を振り返ってみようと思います。少々長くなりますが、よろしくおつきあいください。

 ペーソスの二人と知り合ったのは、1年前の2003年12月4日(木)の夜のことでした。

 私の勤務先の所属部署では、毎年12月初頭に、お取引先の皆様をお招きしての謝恩会を実施しております。昨年は、それにあたって、アラーキー先生と仕事をさせて頂いた経験のある先輩が、「知り合いのオジサンたちがCDを出したから、余興に歌ってもらおう」と言いだしました。例年、余興の司会を務めている私は、CDを聞いて感じたままのイメージを台本にして、ペーソスの二人とは事前に打ち合わせすることもなく、当日、簡単にリハーサルして本番となったのですが、これが、驚くほど共鳴してしまったのですね。まさに、運命的な出会いでした。その場は、そのまま別れましたが、また一緒に舞台に立つことになるような予感が、このとき既に、あったような気がします。

 年が明けて1月、会社のパソコンへ、岩田さんからメールが届きました。「2月に『大西ユカリと新世界』の前座をやらせてもらえることになったんだけど、司会をしてくれませんか?」というものです。ずいぶんと悩みました。私の司会は、ほんのシロウト芸で、訓練を受けたこともないし、自発的に練習したこともないし、会社の余興ならシャレですみますが、前座とはいえプロのステージを汚さずやれるとは思えなかったのです。それでも結局引き受けたのは、謝恩会の時の共鳴が、ほんとうに楽しかったからです。「この人たちとなら、きっと面白いことが出来る」という気持ちが、プロの舞台への畏れに勝ってしまったのです。そして2月11日(水・祝)に、新宿・歌舞伎町「クラブハイツ」で30分の前座ステージを務め、思いがけない喝采を頂戴したのでした。

「クラブハイツ」でウケたことが大きな自信となって、私はそのまま「ペーソス専属司会」となることを引き受けてしまいました。2月21日(土)〜23日(月)の2泊3日札幌ツアーに飛び入り参加し、下北沢のギャラリー「LA★CAMERA」でのアラーキー先生定期展にも出るようになり、休日はペーソス活動が当たり前になっていきました。

「クラブハイツ」でウケたことは、次の幸運も呼んでくれました。大阪の伝統の野外ライブ「春一番」への大抜擢です。ゴールデンウィーク中に大物ミュージシャンが大阪・服部緑地へ大集結するというスーパーライブへ、なぜペーソスが!?  と思い悩む暇もなく、5月5日(水・祝)の白昼、2千数百人のお客様の前に登場することとなり、これまた思いがけない喝采を頂戴したのでした。

「春一番」に出演したことで舞台度胸が付くとともに、P-ヴァインレコードから「CDを出しましょう」という話がやってきました。クレイジーケンバンド、大西ユカリと新世界を世に出したIプロデューサーからのお声がかりです。 「ペーソスはスタジオよりも生がおもしろい」という判断から、ライブアルバムでいこうということになり、5月29日(土)、江古田のライブハウス「バディ」で収録された音源が、『ペーソス・アワー 生で甘えたい』となりました。

 この時期、5月から8月まで、いろいろなライブを経験しました。世界的短編映画作家・山田勇男監督の上映会や、天才編集者・末井昭さんの『絶対毎日スエイ日記』出版記念ライブ、映画美術界の重鎮・木村威夫先生の赤坂プリンスホテルでの大パーティー(薬師丸ひろ子さんを目撃して感激!)、フェネギーさんたちとご一緒した銀座「MiiyaCafe」、鉄の芸術家・藤井健仁さんの個展オープニング、阿佐ヶ谷のライブ居酒屋「JumbJumb」での2部構成……下北沢KOMPALでの定期ライブを始めたのも、8月からでした。このとき初めて披露した『涙腺歌』も、今ではライブに欠かせない1曲です。来年は、ぜひニューアルバムを制作して、そこに収録させたいものです。

 9月3日(金)は、ペーソスの二人と私にとって、忘れられない記念日です。P-ヴァインレコードからCD2枚同時発売! 活発なプロモーション活動が開始され、まずTBSラジオ「B-JUNK」、RFラジオ日本「ミューミュー・ランチBOX」、ニッポン放送「ひでたけ・のりこの大吉ラジオ」、週刊誌「SPA!」のグラビア……9月19日(日)〜21日(月)には、大阪へライブツアーに行きました。楽しかったなぁ。大阪は、「春一番」でペーソスを応援してくださるかたがたができたおかげで、どこへ行っても温かく迎えて頂き、本当に嬉かったです。また、行きますので、よろしくお願いします!

 CD発売とともに、PヴァインレコードのちょっとHな辣腕プロモーター・K氏が実力を発揮し、次々と大きな露出を仕込んでくれて、ついにテレビへ登場! フジテレビ「音箱登竜門」は、収録から放送までずいぶん間が空きましたが、出られてよかった! ついに、テレビに出られたぁ、と嬉んでいたら、なんと、NHKにまで出させて頂けました。CDリリースから3ヶ月の新人としては、上出来じゃないでしょうか? 

 12月22日(水)、高田文夫先生のニッポン放送「ラジオビバリー昼ズ」に生出演させて頂きました。春風亭昇太師匠がレポーターで下北沢KOMPALを訪ねて来てくださり、そこからの中継放送です。高田先生に笑って頂けるのは、本当に嬉しいです。高校生の頃、毎週、一言たりとも聞き逃すまいと緊張しながら聞いていた「ビートたけしのオールナイトニッポン」の、あの高らかな笑い声が、私の言葉に被さってくるなんて! 夢のようです。

 本当に、夢のような1年でした。22日(水)の夜、この日に仕事納めだったアラーキー先生の忘年会が、新宿でありました。先生に、「スマイリー、大好きだぁ」とキスされました。こんな天才に私は認められているんだ、と思ったら本当に嬉しかったです。キスは困りましたが。

 今年1年間、ありがとうございました。本当に、最高の1年でした。来年もよろしくお願い申し上げます。
2004は素晴らしい年でした 来年もやったるど|