名古屋ツアー
「おやぢ涅槃でやっている」本編 
2005/10/22
〜23
わゆる芸能プロダクションに所属していないペーソスは、スケジュールを自己管理して、セルフプロデュースでやっています……と言えばカッコイイですが、実際は、仕事の依頼をただ待っているだけの、極めて非生産的な状態です。これでは、いくら「売れたい」と言っていても、なかなかチャンスが得られません。わかっちゃいるけど、ままならぬ。なにしろ、「歌手になりてぇなぁ」と思いながら30年、ただボンヤリ生きていたオヤジ二人です。今更積極的にはなれないんですが、まぁ、「捨てる神あれば拾う神あり」という言葉通り、こんなだらしない自称プロ歌手に、「来てください」と言ってくださる方もいらっしゃるのだから、世の中って面白い。今回のオファーは、岩田さんの生まれ故郷にして、島本さんが中3の時に引っ越して来た街、二人が高校で同級生になった、ペーソスの原点・名古屋のライブハウスです。しかも、「ぜひスエイさんにも来て頂きたい」というリクエスト付き。どんなことになるのやら、と、これまた受け身な無責任さで、ともかく新幹線に乗ったのでした。


10/22(土)

 名古屋で賑わう場所と言えば栄(さかえ)周辺が有名ですが、今回呼んで頂いたライブハウス「涅槃」さんの所在地は今池というところで、栄に次ぐ繁華街だそうです。「涅槃」さんは、今年の7月に開店したばかりの新しいお店で、元はちゃんこ料理店だったのを改造したのだとか。オーナーのTさんが名古屋駅まで車で迎えに来てくださり、宿への送り迎えなどして頂いて、すっかりスター気取りのペーソス&スエイさんは、「で、1時間ぐらい演ればいいんですかね?」と余裕をかましていると、「まぁ、お好きなように演っていただければ良いんですが……大抵のアーティストさんは、2時間ぐらい演ってくれますよ」とTさん。さあ、大変だ! なにしろ、体力不足で、これまでに最長1時間ぐらいのステージしかこなしてこなかったペーソスです。島本さんの歌い方は、持てる力すべてを投入した、名付けて「ザトペック唱法」なので、休まず2時間はかなりキビシイのです。さて、どうする? と悩むのは、構成・演出係の私の仕事なのですが、スエイさんに来て頂いたのは、ラッキーでした。ちょっとズルいけど、トークで時間を稼いで、島本さんの体力を回復させて、2部構成でやっていこうと決めたのです。

 名古屋名物ひつまぶしで腹ごしらえをして会場入りすると、お客様の多くは、どうやらペーソスの高校時代の同級生の方々のようで、近頃ではほとんどアガらなくなった二人が、珍しくそわそわしています。売れていたら「故郷に錦を飾る」ということなのだろうけど、今はまだ、中途半端なお披露目ですから、お友達の評価が気になるようです。萎縮して本領が発揮できないと困ると思いましたが、そこは腐ってもプロ経験2年、ステージに上がったらいつも通りのパフォーマンスになりました。

演奏曲
1:おやぢいらんかえ〜
2:独り
3:女へん
4:風に揺れている
5:ああ連帯保証人
6:豆大福
7:わたしズルいんです
8:公園の風景
9:新宿
10:白ゆりにて

−トークタイム−
『スエイさんとペーソス二人の生い立ちを追って、今日まで』

11:甘えたい ※以降Mまでスエイさん参加
12:血サラサラ
13:涙腺歌
14:霧雨の北沢緑道

アンコール
15:恋人生


 トークタイムでは、スエイさんを迎えて、このオヤジども3人がいかにして出合ったかという一代記をそれぞれに語ってもらうのに30分くらいを費やし、そのおかげで、店主さんご希望の2時間を達成することが出来ました。すべて計画通りです。私の演出が、ドンピシャ当たったのです……世間ではこれを「結果オーライ」と言うんですけどね。


10/23(日)

 ライブ終了後の深酒で、朝は起きられるハズがない……のは、私だけでした。五十路のオヤジ3名は、どんなに遅く寝ても、「暗いうちから目を覚ま」してしまうのです。

 約束の朝食時間を2時間以上過ぎて、チェックアウトタイム10:00すれすれに起きた私に、岩田さんが電話をくれて、「今日、どうする?」という問いかけ。取ってある新幹線は15:10発なので、5時間ぐらい自由になります。島本さんは、実家へ顔を出しに行ったとのこと。スエイさんは、さすが「パチンコ必勝ガイド」の創刊編集長、「本場で勝負」と意気込んで出かけていったらしく、後に残されたのは岩田さんと私の二人です。私には何の行動予定もありませんでしたが、岩田さんが、「兄貴が岐阜に山荘を買って住んでいるから、行ってみようと思うんだけど、一緒にどう?」と誘ってくれたので、千種からJR中央本線に乗って、恵那という駅まで小1時間かけて行きました。そこに岩田さんのお兄さんが迎えに来てくださり、愛車のアウディで山荘へ。途中、岩村城という、戦国時代に甲斐の武田氏と織田信長との間に挟まれて亡夫のあとを守り夫人が城主となったという城下街へ寄って、その名の通りの清酒「女城主」蔵元を見学して、お酒を買いました。すっきりとした飲み口の、銘酒です。この場所、ペーソスの専属司会になっていなかったら、たぶん、一生来なかったと思います。人生って、不思議で、面白いですね。

 岩田さんのお兄さんは医療関係の技師をなさっているそうで、岐阜の中津川の病院に通うのにちょうど良いということで、名古屋にも家をお持ちなのですが、セカンドハウスとして、別荘地の山荘を買って使っているのだそうです。「夏は良いけど、冬は寒くてね」と笑っていらっしゃいましたけど、別荘は夏の使用だけを目的に建てられていて防寒対策がなされていないので、さぞかし大変だろうと思いました。昨日から突然冷え込んだので、「朝からあわててストーブを出したんだ」とおっしゃっていましたが、確かに、ストーブがなければ居られないくらい冷え込んでいました。でも、木々に囲まれた環境は素晴らしく、眺めも良いし、空気は美味しいし、こんなところで隠遁生活ができたら楽しいだろうなぁと、ご苦労も知らずに夢想してしまいました。天井がむき出しの背の高い小屋で、半分吹き抜け、半分がロフトで、階段をあがった所に、ちょっと面白い水彩画が掛かっています。何だろうと思って見ていると、「ああ、それは慶ちゃんの絵だよ」と、岩田さんのお兄さん。見ると、1969年というサインのある、島本さん17歳の時の作品でした。岩田さんも、「ああ、これ、懐かしいなぁ」と見入っていました。弟の親友の絵を36年間も取っておいて、しかも飾っているなんて、このことだけで岩田さんのお兄さんがどんなに素敵な人だか、わかるでしょう? ペーソスの歴史に私はまだ2年しか参加していませんが、ここに至るまでには、私の知らない長いが時間があって、それによって今日があるということを改めて実感しました。

 岩田さんのお兄さんに車で名古屋駅まで送って頂いて、ホームで島本さんと落ち合って、新幹線へ。スエイさんは、パチンコに負けて背を丸め、先に帰ったとのこと。途上、島本さんに絵のことを話すと、嬉しそうな恥ずかしそうな様子でした。

 実はこの日、大西ユカリ姐様が、東京・歌舞伎町の「クラブハイツ」でレコ発ライブの締めくくりをなさるということで、スエイさんが早く帰ったのも準備万端にそこへ行くためだったのですが、ペーソスだって行くべきでしょ? ところが、自業自得だと思いますが、「疲れて体が言うこと聞かん」と、二人揃って音を上げてしまいました。よって、「スマイリーが代表して、挨拶してきて」ということに。ユカリ姐様には、5月の「春一番」で助演していただいたお礼も十分していないので、私がバッチリ仁義をキメよう、と思ったんですが、結局、打ち上げの席でタダ酒を浴びるほど呑ませて頂き、またしてもグダグダにおぶさってしまいました。ペーソスのオヤジさんがた、ガキの使いさえ果たせず、ごめんなさい。そして、ユカリ姐様、大好きです。なんとか、ご恩返しをさせてください。ペーソス&私でお力になれることでしたら、何でもお申し付けください。……でも、このオヤジどもに、何が出来るのかなぁ。とにかく頑張りますよ。「体弱い」けど。