加賀百万石大豊作ツアー・リターン
白山麓で生リンダ生ウララー!
2005/10/08
〜09
ら星のごとく輝く歌謡界では、売れっ子だと、半年前でもスケジュールを押さえるのが大変なのだそうです。ペーソスの場合、半日前でもOKです。大体、覚えていられるスケジュールが、いいところ半月分ぐらいです。そんなワケで、去る7月23日、北陸放送ラジオ出演の直後、チーフディレクターのTさんに「10月9日は、空いていますか?」と言われたとき、ペーソスの二人は、「そ、そ、そんな先のことは分かりません」と狼狽してしまったのでした。三ヶ月前からのオファー。しかも、局の大きなイベント「MROラジオまつりinつるぎ」への出演依頼です。狼狽しながらも、とにかく頭の中に「10月はまた金沢に来られる」という書き付けが筆圧強く記され、忘れることなく今回のツアーとなったのでした。


10/8(土)

 夕方、飛行機で金沢空港へ着くと、明日は野外ライブだというのに北陸地方は少し雨模様です。ミュージックバー「ジェラスガイ」の方々に迎えに来て頂いて、3列シートワゴンで市内に入ったころには、雨はやんでいましたが、アスファルトの道が黒く濡れていました。今回も、「ジェラスガイ」の皆さんに全身の力を抜いておぶさってしまったオヤジどもは、宿の手配までお願いして、尾山神社近くのペンションを取って頂いたのでした。ペンションというと、高原にあるログハウスか何かの建物で、ご主人がギターを弾きながら『ジャンバラヤ』なんぞを歌う、というイメージですが、今回の宿は、街中の、鉄筋コンクリートの建物の、家族経営らしき小さなホテルでした。後から合流したスエイさんが、「ペンションと民宿と、どう違うんですかねぇ?」というので、「ペンションは朝食がパンとコーヒーで、民宿はご飯と味噌汁なんでしょう」と答えると、「ああ、そうですかぁ」と頷いていました。スエイさんは、サックス持参で、吹く気満々! 「重くって、荷物になっちゃって大変だったんですよ」と言うスエイさんに、ペーソスと私が共通して思い浮かべた言葉「頼んでないっつーの!」。今回は、観光ついでにペーソスを見に来るという話だったので、まさか持ってくるとは思っていなかったのです。ギロという、ラテン音楽のリズム楽器まで用意していて、「『女へん』でコレをやろうかと思うんですよ」と微笑むスエイさん。この時点で、今夜の「ジェラスガイ」での後半の演目が、必然的に決定したのでした。

 「ジェラスガイ」でのライブは、夜の9時からスタート予定です。セッティング確認を終えて、まず食事をしようと相談していたら、番頭格のNさんが、「魚の美味しい店が近くにありますよ」と連れて行ってくださって、刺身など食べていたら、またまたNさんが「そこらの酒屋には売っていない旨い酒があるんですよ」と勧めてくださるので、つい呑んでしまって、座敷だったモンだから、寝っ転がりだしたりして、すっかり「ああ、今日も良い一日だった」状態に。イカン遺憾! これからが本番ですよ。お世話になっている「ジェラスガイ」さんで、いい加減なパフォーマンスはできません。……でも、ふぁーっと良い気持ち。

 いよいよ本番。熱い金沢のお客様を前に、珍しく緊張気味のスエイさんは自分のプレイに納得がいかなかったようですが、それもまたご愛敬で、楽しいライブになったと思います。『女へん』でのギロの変拍子が最高にプログレッシブで、良かったです。ヘンリー・カウかと思いました。……んなワケない。

演奏曲
1:おやぢいらんかえ〜
2:公園の風景
3:豆大福
4:ああ連帯保証人
5:ダメになりそう
6:風に揺れている
7:恋人生
8:女へん ※以降、スエイさん参加    
9:甘えたい 
10:血サラサラ 
11:涙腺歌
12:霧雨の北沢緑道

 ライブ終了後、チャオ大姐様のご厚意で、歓待の席を設けて頂き、すっかりご馳走になってしまいました。「スマイリー、残ってもっと呑もう!」というお誘いをことわってしまって、ごめんなさい。できれば朝まで呑んでいたかったんですが、明日のイベントがございますので、睡眠を十分にしようと思ったのです。一応プロとして呼ばれているのですから、最低限の自己管理をしなくては。岩田さんと私は、宿に帰ってすぐ、寝ました。が、スエイさんと島本さんは、「やっぱり呑み足りない」などと言って、ノコノコ出かけて、さらにきこしめしたようです。最も体調を整えておかなければいけないのは、ボーカルの島本さんなのに。しょうがないなぁ。


10/9(日)

 ペンションなので、朝食は、ご飯と味噌汁でなく、パンとコーヒーです。10時の出発まで時間があるので、朝食後に、近くの武家屋敷が保存されているあたりを散歩しました。私は、数年前に来たときに散策したことがあるのですが、そのころちょうど『武士の家計簿』(磯田道史・著/新潮新書)という本を読んだ直後だったので、感慨深かったことを覚えています。その本は、加賀藩で代々経理係を務めていた猪山家が残した家計簿を分析することで、江戸時代の武士がどのような存在だったのかを明らかにしたものなのです。猪山家は、算術を得意としたことで、下級武士から大出世していくのですが、収入が多くなるに連れて分相応の格式を整えるために出費が多くなり、結局、主人の自由になるお金は、下男よりも少ないというような矛盾が生じてくる。武士というのは威張っていられる楽な身分ではないことが分かる、大変な名著です。そんな加賀藩の武士達が住んでいた家並みが残っている観光地区で、用水路を泳ぐカルガモに「ヘイ、カモん」などと呼びかけている暢気なオヤジたち。心配した天気もすっかり良くなって、快晴の爽やかな朝です。さあ、いよいよ「ラジオまつり」だ!

 「ジェラスガイ」のNさんがワゴンで迎えに来てくださって、イベント会場の鶴来という町へ出発です。途中、Nさんの携帯が鳴って、ペンションから、スエイさんの部屋に傘の忘れ物があるという連絡があったのですが、スエイさん曰く「邪魔だからわざと置いてきたんですよ。処分してください」という返事。そのまましばらく行くと、またしてもペンションから電話があって、今度は、「島本さんの部屋にファイルが置いてありました」という通報です。それが無くてはステージ上で不安になってしまう、大事な大事な特製歌詞帳です。 今度は取りに帰らざるを得なくなり、途上で金沢市内へ逆戻り。このタイムロスで遅刻して、既にお客様が入っている状態でリハーサルをすることになってしまいました。北陸放送の皆さん、ご迷惑をおかけして、申し訳ございませんでした。

 控え室にお弁当が用意されていたのですが、「ラジオまつり」会場周辺に沢山の屋台が出ていたので、そこであれこれ買い食いをして、ちょっとお祭り気分を楽しみ、本番の舞台へ。ステージから会場を見晴るかすと、背景には雄大な白山連峰が迫る絶景です。コンクリートの東京砂漠から来た我々には驚きの光景だったのですが、我々をご覧になっている地元のお年寄り達には、ペーソスのパフォーマンスこそ驚きだったようで、少しは笑い声や声援もあったのですが、大半のお客様は、唖然とした顔でご覧になっていました。それでも、『霧雨の北沢緑道』では、手拍子が起こり、結果は好評だったと思います。

演奏曲
1:おやぢいらんかえ〜
2:女へん 
3:涙腺歌 ※以降、スエイさん参加
4:霧雨の北沢緑道

 出番の後は、我々もお客さんになって、屋台でさらに買い食いをしながら、待っていました!山本リンダさんの登場です。いきなり『狂わせたいの』からスタートし、『困っちゃうな』ときて、シャンソンあり、新曲あり、『狙いうち』『どうにもとまらない』のあたりでは、我々もエンディング出演のために舞台袖へ回っておりましたが、20代とおぼしき北陸放送女子アナ陣が、飛び上がって声援をしているのを目撃しました。今も若い人を熱狂させられるのは、素晴らしいことです。エンディングで舞台に上がり、近くで見た生リンダは美しかった! 芸能生活40周年とのことなので、おそらく50代後半だと思うんですが、そんなこと全く信じられないスタイルの良さ! 真っ赤なホットパンツの衣装がお似合いでした。きっと、徹底的に節制されているんでしょう。前日に夜中までお酒を飲んだりすることなど、絶対にないと思います。やっぱり凄いなぁ、スターは。

 終了後、Nさんに空港まで送って頂き、またしてもお土産まで頂戴してしまいました。チャオ大姐様をはじめとする「ジェラスガイ」の皆さん、本当にお世話さまでした。そして、ライブをご覧頂きました皆様、ありがとうございました。